日本と中国が戦争をしたのは毛沢東の中国共産党が原因だった!

蒋介石の方向転換

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今も中国政府や、反日的日本人は、「日本の軍国主義が日中戦争を始めた」と言います。しかし日本には、もともと中国と戦争をする気など全くありませんでした。中国の蒋介石側もそうです。蒋介石も当初、日本と戦う気はありませんでした。
では、なぜ日本と中国は戦争をしたのでしょうか。それは、日中戦争を待ち望んだ人々がいたからです。毛沢東の中国共産党です。

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彼ら共産軍は、蒋介石の国民党軍との内戦を戦っていましたが、追いつめられ、いまや風前の灯火となっていました。そこで起死回生の策として考え出されたのが、日本を中国の内戦に引き込み、日本と蒋介石の軍を戦わせることだったのです。
先ほども述べたように、「夷をもって夷を制す」の考えは、中国人の伝統的な戦法なのです。共産党は「夷をもって夷を制す」の考えで、蒋介石の軍と日本軍を戦わせ、両者を消耗させることにより、自らの生き残りをはかったのです。

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それは次のように起きました。蒋介石は西安にいたとき、油断したのでしょう、不意をつかれたところを、ひそんでいた共産兵に捕らえられ、捕虜となってしまいます(西安事件)。
蒋介石は、毛沢東の前に連れて来られます。毛沢東は蒋介石を目の前にして、殺してしまおうと思います。敵の大将がお縄になっているのですから、簡単に殺せたでしょう。ところが、そこにソ連のモスクワにある「コミンテルン」(国際共産主義運動)本部から、毛沢東に指令が来ます。

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「蒋介石を殺さず、蒋介石と日本軍を戦わせよ
と。つまり蒋介石の国民党軍と、日本軍を戦わせることにより、両者の力をそぎ、その間に共産軍の力を回復せよとの指令です。また、そののち力をつけた共産軍が彼らを打ち負かして、中国全土を征服せよという計画です。毛沢東はこの指令に従います。
まさに「夷をもって夷を制す」の考えです。毛沢東は蒋介石に、
命を助けてやるから、お前は日本軍と戦え」
といいました。すると蒋介石は、「それならば、共産軍も国民党軍と一緒に日本と戦え」といいます。こうして、いわゆる「国共合作」が実現したのです。

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蒋介石。彼の方向転換により、日本は日中戦争
を戦わなければならなくなった。彼の側近には共
産党から差し向けられた者たちが多数入り込み、
彼の行動を逐一監視していた。

 蒋介石は結局、こうして命拾いしたわけですが、彼は自分の命と引き替えに共産軍の拡大を許したのです。また蒋介石が日本と戦うようになった背景には、アメリカの手引きもありました。アメリカの物資援助がなければ、蒋介石の軍隊は一歩も立ちゆかなかったからです。

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蒋介石が戦う相手を共産軍から日本軍に変更したことは、彼の人生において最大の過ちといってよいでしょう。なぜならば、そのために彼はのちに共産軍に負け、中国大陸から逃げ出して、泣きながら台湾に渡らねばならないはめになったからです。
また、これは単に彼の過ちだったというだけでなく、中国の歴史にとってきわめて不幸なことでした。国共合作といっても、実際は共産軍はほとんど何もせず、日本軍と戦ったのは蒋介石のほうでした。共産軍は、蒋介石の国民党軍を利用したのです。国民党軍が日本と戦っている間に、共産軍は力を回復し、やがて日本が中国大陸から去ったあとに、国民党軍を打ち負かすことになります。
その結果、中国は近代的国家になるどころか、結局、全体主義的な共産主義国となってしまったのです。

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