日中戦争が始まった頃の中国はなんと混乱と死の大地だった!!

混乱と死の大地だった中国

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さて、日中戦争(一九三七~四五年)が始まった頃の中国とはどんな国だったかを、少しみてみましょう。
当時の中国は、飢饉と内乱で毎年数百万人、ときには数千万人の犠牲者を出す、世界史上まれにみる混乱と死の大地でした。
飢饉は毎回、数十万人から数百万人の犠牲者を出し、一千万人を越えることもしばしばであったのです。飢えた民衆が各地で人の肉や、自分の子どもの肉を食べたという話が、当時の資料に多く見受けられます。

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また当時の中国は、中華民国政府が誕生したとはいえ、それが全土を統治していたわけではなく、実際は他に幾つもの自称「政府」が乱立していました。そしてその「政府」たちは、互いに他を「偽政府」とののしりあい、内戦を繰り返していたのです。
つまり、中国とは言っても国家の体をなしていなかったのです。また、内戦によっても、多くの民衆が犠牲になっていました。数百万、また数千万人の犠牲者を出すこともありました。ですから中国の人口は常に大きく変動していたのです。

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当時、中国の市場には、なんと人肉が売られていたほどです。人肉は、獣肉よりも安値でした。それは獣肉より人肉のほうが豊富に手に入ったからです。また男の肉は女の肉よりも安値で売られていました。
中国の人肉食文化は唐の時代から記録がありますが、それが二〇世紀前半まで続いていたのです。これは、当時の中国がいかに凄惨な混乱と死の大地であったかを、如実に示しています。

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大多数の民衆は、日々を生きていくのがやっとであり、毛沢東に言わせれば「貧しくて無学無知」の人々でした。そうしたなか、人々の中に、他人が早く死ぬことを望む性格や、人の弱みを見ればとことんつけこむ民族性などが形成されていったのです。
さて、孫文のつくった中華革命党は、のちに改組して中国国民党と称しました。その孫文の亡きあと、国民党を継いだのが、蒋介石でした。しかし蒋介石の国民党も、ひどい内戦を繰り返し、分裂していきます。
蒋介石から分かれた人物に、汪兆銘(おうちょうめい)がいます。国民党内では、汪兆銘のほうが蒋介石より人望がありました。汪兆銘は当初は反日家でしたが、のちに中国の未来を考えて親日政権を樹立します。日本は汪兆銘の政権を支援しました。

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汪兆銘は、孫文の「三民主義」を継承し、日本と中国の協力により東アジアに平和と安定と繁栄を築けると信じていました。汪兆銘と蒋介石を比べるなら、汪兆銘のほうがはるかに中国民衆のことを考え、明確な信念で行動していたと言っていいでしょう。
一方、蒋介石の行動をみるなら、彼は民衆のために信念で行動していたというより、むしろ自分が権力をにぎるためには何でもしたという印象を受けます。しかしそれが結局、中国を巨大な戦場と化していってしまうのです。

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