2022年03月一覧

日航機墜落事故の 真相 生存者の一人・落合由美さんの 証言 13 (完)

離陸してすぐ、私は機内に備え付けの女性週刊誌を読んでいました。女性や子供の姿が多く、いつもの大阪便とはちがうな、という印象はありました。私の席の周囲にも、若い女性の姿が目立った。禁煙のサインはすぐに消えたのですが、着席のサインが消えていたかどうか、はっきりしません。そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。

日航機墜落事故の真相 JAL123便 ミサイル撃墜の 証拠と証言 12

JAL123便を御巣鷹山方面に強引に誘導したのは、2機のF-4EJ戦闘機です。しかし、JAL123便に対してミサイルを撃ち込んだのは、あらかじめ、在空していたとみられるF-15J戦闘機なのです。F-4EJとF-15Jは、ともに米国が開発した要撃戦闘機ですが、F-15JはF-4EJの後継機です。そのときJAL123便は、何とか山中に不時着しようとしていたと考えられるのです。山への不時着ですから、ほとんどは絶望的ですが、かなり多くの生存者が出ることも考えての機長の判断であると思われます。機長をはじめとする操縦クルーは、何が起こっているのかが一番よくわかっていたと思われます。

日航機墜落事故の真相 特殊部隊は 墜落現場で 何をしたか 11

JAL123便が墜落したのは、午後6時56分です。それから約1時間後に、上野村三つ岐というところに自衛隊の一団が集結しはじめたのです。その数50人~100人――彼らは何かの合図を待っているように静かに待機していたのです。1985年8月12日のことです。 ちなみに、墜落現場から一番近い自衛隊の基地といえば、長野県松本市の陸上自衛隊第13普通科連隊、陸上自衛隊第12師団司令部のある群馬県相馬原の部隊です。しかし、ここに集まってきていたのは、そのいずれでもないのです。

日航機墜落事故の真相 自衛隊はなぜ 米軍の救助を 断ったのか 10

1994年9月25日のことです。テレビ朝日「ニュース・ステーション」では、「米軍幻の救出劇」と題して、御巣鷹山日航機墜落事故関連の番組を放映しています。 1985年8月12日当日、沖縄嘉手納基地から横田基地に帰投中の米軍C-130輸送機は関東南A空域にさしかかっていたのです。そのとき、同機のマイケル・アントヌッチ航法士(ナビゲーター)は、横田基地からJAL123便の探索命令を受けたので、一帯を捜索した結果、午後7時30分前にJAL123便の墜落現場を確認しています。番組では、マイケル・アントヌッチ航法士が次のようにいっています。

日航機墜落事故の真相 墜落場所は 早くから わかっていた 9

JAL123便を御巣鷹山に誘導した2機の自衛隊機の存在はこの件に関するマスコミ報道では完全に伏せられています。しかし、この2機の自衛隊機を目撃した人物がいます。その人物とは、角田四郎氏といい、事故当日大月付近でキャンプをしていて目撃したというのです。後になって、角田氏は、JAL123便事件解明のため『疑惑/JAL123便墜落事故』という本を出しています。この本から、角田氏自身の目撃状況をご紹介します。

日航機墜落事故の真相 なぜ 横田基地 着陸阻止に なったか 8

JAL123便が操縦不能に陥った真の原因は、演習用ミサイルが飛行機の垂直尾翼に衝突してその3分の2が失われたという仮説を中心にこのレポートを書いています。事故より14年が経過した時点で発刊された山崎豊子氏の『沈まぬ太陽/御巣鷹山篇』(新潮社刊)には、この演習用ミサイル衝突説はどのように扱われているのでしょうか。それとも無視されているのでしょうか。

日航機墜落事故の 真相 スコーク77と 自衛隊機の スクランブル 7

「スコーク77」は、単なるエマージェンシー・コールとは異なるようです。これに関する限りあまりにも情報がないので、ある程度推測するしかないのですが、とくに、「スコーク77」を発信すると、なぜ自衛隊の軍用機がスクランブルをかけてくるのかということがいまひとつ理解しにくいと思うので、池田氏の本をベースにして説明します。昨日ご紹介したICAO(国際民間航空機関)条約「付属文書2」というのは、日本が支配する空域において、民間機が何かに要撃された場合の自衛隊機の対処法が決められているのです。

日航機墜落事故の真相 東京航空管制は どう受け止めたか 6

JAL123便の垂直尾翼に演習用巡航ミサイルSSM-1がぶつかったのを知って機長はその7秒後に「スコーク77」を発信しています。この「スコーク77」は、国際緊急無線信号であり、めったなことでは使わない信号なのです。仮に事故調のいうように、圧力隔壁の破損が原因で尾翼が破壊された場合、「ドーン」という爆発音が聞こえた18時24分35秒の時点では、コックピットの中では何が起こったのかわからなかったはずです。

日航機墜落事故の真相 衝突6分前から気付いていた操縦クルー 6

JAL123便の操縦クルーは、謎の飛行物体にぶつかる少し前に気がついていたのではないかと思われるフシがあります。今朝はここからはじめます。JAL123便が羽田空港を離陸したのは、午後6時12分のことです。そのまま順調に飛行を続け、水平飛行に移行した午後6時18分過ぎ、右側に富士山と江ノ島が見えます。高度は、約3500メートル。富士山と眼下の相模湾が一望できる風光明媚な場所で、この場所を飛行するパイロットたちがホッと息をつく瞬間だそうです。

日航機墜落事故の真相 謎の飛行物体は SSM-1である 5

JAL123便が事故時刻に飛んでいた空域は、「関東南A空域」と「関東西空域」の2つです。それぞれの空域にその時刻にどのような航空機がいたかを調べた記録があります。このほか、関東西空域に米軍機がもう1機存在していたのですが、位置や高度などは不明です。この中で注目すべきは、自衛隊機C-1です。C-1は、人員や兵器を輸送するずんぐりとした航空機なのですが、外形はこれとそっくりのEC-1という航空機があるのです。EC-1は、C-1を電子戦用に改良したもので、所属は岐阜の航空実験団です。この航空実験団というのは、航空機および搭載装備品、支援機器、電子機器、兵装などの試験・評価と、これらの基礎的な運用、研究、開発をやっているのです。諸般の情勢から考えて、この空域にいたのは、C-1ではなく、EC-1であると考えられます。

日航機墜落事故の真相 無人標的機『ファイア・ビー』の 衝突説 4

JAL123便が操縦不能になった原因は、飛行機の垂直尾翼が3分の2程度破壊されたことにあります。  事故調査委員会は内部原因説を結論としていますが、ごく素直に考えれば、何らかの飛行物体がJAL123便の尾翼に衝突したのではないかということを疑うのが自然であると思います。しかし、高度高度24000フィート(7200メートル)の上空で飛行機の垂直尾翼にぶつかるものといったら、何があるでしょうか。それは、飛行機かミサイルのようなもの以外は考えられないのです。

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