
白人はこの500年、世界で侵略の歴史を繰り返してきただけだ?⓵
この500年、白人は世界で何をしてきたか?。同時多発テロは、“侵略の世界史”の終わりの始まり?。「明治以来、日本は欧米を文明先進国と崇め、非白人を歴史の表舞台に登場させることはなかった。そのため西欧の繁栄を支えた植民地支配の暗黒面を見落としてきた。
これだけは知っておきたい話題提供
この500年、白人は世界で何をしてきたか?。同時多発テロは、“侵略の世界史”の終わりの始まり?。「明治以来、日本は欧米を文明先進国と崇め、非白人を歴史の表舞台に登場させることはなかった。そのため西欧の繁栄を支えた植民地支配の暗黒面を見落としてきた。
日中戦争のさなか、1939.7.26日にアメリカは日本に対して、日米通商航海条約の破棄を通告した。 これによってアメリカは日本に対して石油を供給する義務を負わなくなった。当時の日本は石油の輸入をアメリカに依存していた。石油がなくなれば日本にとって死活問題である。
1941.12.8日の真珠湾攻撃の4ヶ月前、1941.8.14日にアメリカ大統領のルーズヴェルトとイギリス首相のチャーチルはすでに『大西洋憲章』を結んでいる。この大西洋憲章は、戦争が終わったあとの戦後処理の原則を約束したものである。日本にとっては戦争が始まる前に、負けたあとの戦後処理が決められていたことになる。
第2次大戦 3 イギリスがドイツと戦った理由は? スポンサーリンク (adsbygoogle = window.adsby...
イギリスは、第2次世界大戦が始まる4年前の1935年にドイツと英独海軍協定を結び、それ以来ドイツに対して宥和的な態度をとってきた。翌年1936年に始まったスペイン内戦に際しても、ソ連寄りの人民戦線に対しても、ドイツ寄りのフランコ将軍のどちらに対しても、中立的な態度をとり続け、この戦争に干渉しなかった。
1939年、第2次世界大戦が起ころうとするとき、イギリスには、1.対共産主義に対する戦争(ソ連と戦うもの)2.対ファシズムに対する戦争(ドイツと戦うもの)この2つの選択肢があった。イギリスが選んだのは2の方でした。これを決めたのが、ドイツとの宥和策を模索するチェンバレンに代わって登場したチャーチルです。
ジョー・バイデン大統領は、米国がさまざまな外交政策の課題に直面しているときに就任しました。NHKワールドの榎原美希は最近、米軍と政策の専門家に今後の展望について話しました。以下の抜粋は、3月18日にオンラインで開催されたホラシス臨時会議2021での「米国の外交政策と難治性紛争の将来」というタイトルのパネルディスカッションからの抜粋です。