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ヤルタ会談とは? 東西冷戦や北方領土問題との深い関係も知っておこう

ヤルタ会談はいつ、どのように行われたのか?ヤルタ会談の概要を紹介したいと思います。1945年2月に開催された三国同盟首脳会議ヤルタ会談とは、第二次世界大戦中の1945年2月4日から11日までの1週間に行われた「三国首脳会議」のことである。アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長兼首相が参加した。

第2次世界大戦 5 アメリカが日本と戦った理由は?

日中戦争のさなか、1939.7.26日にアメリカは日本に対して、日米通商航海条約の破棄を通告した。 これによってアメリカは日本に対して石油を供給する義務を負わなくなった。当時の日本は石油の輸入をアメリカに依存していた。石油がなくなれば日本にとって死活問題である。

第2次世界大戦 4 イギリスがドイツと戦った理由は?

1941.12.8日の真珠湾攻撃の4ヶ月前、1941.8.14日にアメリカ大統領のルーズヴェルトとイギリス首相のチャーチルはすでに『大西洋憲章』を結んでいる。この大西洋憲章は、戦争が終わったあとの戦後処理の原則を約束したものである。日本にとっては戦争が始まる前に、負けたあとの戦後処理が決められていたことになる。

第2次世界大戦 2 イギリスがドイツと戦った理由は?

イギリスは、第2次世界大戦が始まる4年前の1935年にドイツと英独海軍協定を結び、それ以来ドイツに対して宥和的な態度をとってきた。翌年1936年に始まったスペイン内戦に際しても、ソ連寄りの人民戦線に対しても、ドイツ寄りのフランコ将軍のどちらに対しても、中立的な態度をとり続け、この戦争に干渉しなかった。

第2次世界大戦 1 イギリスがドイツと戦った理由は?

1939年、第2次世界大戦が起ころうとするとき、イギリスには、1.対共産主義に対する戦争(ソ連と戦うもの)2.対ファシズムに対する戦争(ドイツと戦うもの)この2つの選択肢があった。イギリスが選んだのは2の方でした。これを決めたのが、ドイツとの宥和策を模索するチェンバレンに代わって登場したチャーチルです。

大国競争時代において同盟は極めて重要になる

ジョー・バイデン大統領は、米国がさまざまな外交政策の課題に直面しているときに就任しました。NHKワールドの榎原美希は最近、米軍と政策の専門家に今後の展望について話しました。以下の抜粋は、3月18日にオンラインで開催されたホラシス臨時会議2021での「米国の外交政策と難治性紛争の将来」というタイトルのパネルディスカッションからの抜粋です。

2021年に世界が直面する最大の問題(パンデミック以外)

2021年が始まり、COVID-19ウイルスが猛威を振るう中、現在、全世界に影響を及ぼしている他の危険や危機があることを思い出すのは難しい場合があります。国際救済委員会、またはIRC、「世界最悪の人道危機への応答との生活や生活生き残るためには、紛争や災害によって粉々にされている人々

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