お気に入り本箱一覧

「武道から武術へ」甲野善紀

写真見るかぎり甲野さん痩せたんじゃないですかね。もう62歳ですか。だいぶ前にテレビで観たのは、ゴルフのスイングで胸を支点にして上半身で一回転してドライバー振ってました(笑)書かれたものを読むのは初めてです。そしてその人物の履歴などを知らなかったので、大学時代の思考とか武道を始めるきっかけとか、そういうものが本書には書かれていたので、だいぶ親近感もわきましたし、その術理も最新のものが垣間見ることができて読んだ価値があったと思っています。

「体が硬い人のためのヨガ」水野健二

私はヨガを全く知りませんでした。本書を読み終えた今は、あんがいヨガというものは深いものなんだな、武道やスポーツをする人間には必須ではないか、とまで思っています。副題に「Basic Lesson]とあるように、本書はあくまでもヨガの基本、入門書なのでしょうが、興味のある方はもちろん、たいして興味のない方にも「ヨガ」というものは何なのか?を丁寧に説明してくれる良本です。

「大山倍達の遺言」小島一志・塚本佳子

生前、大山倍達は「私が死んだら極真は割れるよ」と公言していたそうです。誰もが知っている極真空手の創始者である大山倍達が逝去して二十年近くの月日が経ちました。そして、ものの見事に、現在、極真空手は分裂しています。松井派極真会館、新極真会、極真連合会、極真館……カリスマであった創始者の死後、何が起きたのか。危急時遺言は法的に認定されませんでした。

「大山倍達正伝」小島一志・塚本佳子

「私の武勇談は数知れずありますが、みんな真実なんてことはないんです。ひとつの話が大きくなり、メダカがいつの間にかクジラになってしまう。いつしか話が誇張されてしまうんです。『空手バカ一代』はその最たるもので、実際の私はあんなにカッコいい人間じゃないよ。なのにみんなが寄ってたかって私をスーパーマンにしてしまうんだ。だから、戦後初の全日本空手選手権優勝というのは間違いなんです。あれは梶原一騎の作り話です」 「(屠殺場で)牛を繋いでおいて、思いきり殴ったんです。ところが、死なない(笑)。あれは普通、眉間をハンマーで殴るんです。それを私は手刀でやるわけです。ところが牛は横に倒れない。物凄く暴れるんです。二回目はもう殴れないです。以来、牛を倒すのは諦めてしまった。だから、私が牛を殺すというのはウソですよ」

「芦原英幸正伝」小島一志・小島大志

「館長、ワシがこの窓蹴破ると言っちょるんです。こんな腰抜け支部長は置いといて、館長が芦原を外に放り出してくださいよ。アンタ『牛殺しの大山』と言われちょるんでしょ。何頭もの牛を殺したんでしょ。熊も退治したって聞いてますけん。ワシみたいなヒヨッ子潰すのなんて簡単やないですか。破門だ除名だ手回しのいいことせんでも、今ここで決着つけてくださいよ」 一歩一歩自分に近付きながら威嚇する芦原の前で、大山倍達は明らかに怯んだ表情を見せた。

「悲惨・ブーゲンビル島」梅岡大祐

この本は1986年旺史社から発行された無名戦士の記録シリーズの一作です。著者は既に亡くなられていますが、京都出身の再召集(一度軍を退役した後に再び召集されること)の下士官であり、彼が所属した第16防空隊(対空高射砲、重機関銃)の地獄の島ブーゲンビル島での生活の記録です。ブーゲンビル島はパプアニューギニアにあります

「あの戦争は何だったのか」保阪正康

漠然としたタイトルの本ですが・・・私のあくまで個人的主観として昨今の尖閣諸島、および竹島、北方領土を巡る出来事について、どうしてこのような問題が起こるのか、そして私たちはどう対処すればいいのか、もっと考えないといけません。そしてそういうことを考えるには、どうしても過去の太平洋戦争の経緯を知っておく必要があります。戦後60年を過ぎそろそろ70年になろうとしている現代でさえ、我々日本人は過去の戦争の呪縛から逃れられないのです。

「ボクの大東亜戦争」萩谷朴

こういう戦争もあったのか、と思えるほど風景の違う第二次世界大戦の戦記です。著者は日本古典研究の第一人者であり大東文化大名誉教授であった故萩谷朴先生。二松学舎で教師をしているときに二等兵として召集されスマトラで従軍した三年半の青春の記録です。当然ですが、写真が残っていないのが残念です。しかし、著者は「花便り」としてハガキに現地で求めた色鉛筆で植生を写生し内地の家族に送っていたのが現存し、本の表紙裏と裏表紙裏にはそれらが掲載されています。いかにもエリートの学者らしいですね。14メートルのワニを見た話もあります。

「日本兵捕虜は何をしゃべったか」山本武利

興味深い内容の本でした。今までの太平洋戦争観、帝国軍人観が覆るような本です。著者が直接アメリカ国立公文書館で発掘した英文の資料によって構成されています。その資料とは、連合軍が捕えた日本兵捕虜に対する尋問の中身であったり、戦闘で死んだ日本兵が身に付けていた作戦資料や日記などです。ATIS(南西太平洋連合軍翻訳尋問部隊)という組織がありました。マッカーサーはこれを極秘にしていました。この部隊はアメリカ在住の日系二世などを主とした日本語解読機関であったのです。

「レイテ戦記」大岡昇平

「レイテ島の戦闘の歴史は、健忘症の日米国民に、他人の土地で儲けようとするとき、どういう目に遇うかを示している。それだけではなく、どんな害をその土地に及ぼすものであるかも示している。その害が結局自分の身に撥ね返ってくることを示している。死者の証言は多面的である。レイテ島の土はその声を聞こうとする者には聞こえる声で、語り続けているのである」

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